原罪と楽園追放
まずは有名なアダムとイブの話から始めよう。
「堕落と楽園追放」ミケランジェロ作 |
神はアダムとイヴに楽園にあるどの木の実も食べて良しとした。ただ、知恵の木の実だけは、食べることを禁じた。バーチャル絵画館より引用
地上で一番こうかつな蛇が、イヴに神の命令にそむいて、禁じられた知恵の実を食べるようすすめた。イヴはそれを食べて、アダムにも食べるよう勧めた。人間が最初に犯した罪なので、原罪といわれる。
神はアダムとイヴの行為を強く非難し、楽園から追放した。
アダムとイヴは楽園の東側に住むようになった。楽園にもう一つの重要な木があった。それは命の木で、神は智天使ケルビムを派遣し、回る炎の剣を置いて、二人がその木の実をも食べないよう用心した。
絵画では、剣を持ったケルビムがアダムとエヴァを追い払うシーンなどで描かれる。
人間が進化・成長するにつれ知恵がつくのはあたりまえで、そのこと自体は善でも悪でもないと思ってしまう日本人的な感覚は通用しない。西洋的理解では、知恵を持つこと自体が悪(原罪)なのである。
アダムのイブの物語で出てくる蛇の話は、シュメール文明の神話にまで遡れる可能性がある。聖書オリジナルの話ではないのだ。旧約聖書自体が神話の寄せ集めでもあり、当然のことながら、シュメール神話も混交している。また、旧約聖書自体がそもそも1冊の書物ではなかった。
ウルク王朝時代(前3500~前3100)円筒印章 |
聖なる木の両側に男性と女神が座っている。女神であることは角のついた髪飾りで判る。『私の歴史夜話』より引用
二人の後方には蛇が居り、「エデンの園」の物語を暗示しているのではなかろうか。
ウルクはシュメール最初の都市で、旧約聖書のギルガメシュ叙事詩の舞台でもある。
シュメール文明ではどうだったかわからないが、聖書的解釈では知恵の実を食べるようにそそのかした「蛇」は悪である。しかし、蛇を善と解釈する一派が出現する。
グノーシス主義
「デビルマン・レディー」第7巻 永井豪 |
グノーシス主義は、キリスト教の成立とほぼ同じ頃に盛んとなったが、弾圧されたため、紀元後数世紀で表舞台から姿を消した(筆者注:グノーシス的発想の出現は、シュメール文明にまで遡れるかもしれない)。デビルマン・レディーから要約
キリスト教の教えでは、蛇は悪であるが、グノーシス派では、蛇は人間に知恵という恩恵をもたらした人間の味方<光の使者>として崇拝された。
蛇が光であるということは、神は闇であり、神を自称するヤハウェこそ人間の精神を闇の牢獄に閉じ込める抑圧者にほかならないと、グノーシス派の人々は考えたのだ。
グノーシス主義の根本思想は、過激な二元論で、それによると、この世界は、神のいる「光の領域」と「闇の領域」に分かれている。
神は世界を創造したり、支配することはない。よって、神はヤハウェではない。
人間世界の創造主を自称するヤハウェは、実は闇の領域の支配者(アルコーン)である。この宇宙は、広大な牢獄のごときものであり、その最も奥にある土牢が、人間の世界であるという。
グノーシス主義では、ヤハウェは、真の神がいることを人間に気付かせないように邪魔をしていると考える。
蛇は、闇の牢獄に捕えられている人間を解放するために来た光の領域からの使者というわけだ。
ちなみに「グノーシス」とはギリシア語で「知識」を現わす言葉である。
グノーシス派が直接的なイルミナティの起源ではないが、思想的には近いと考えられる。
神(ヤハウェ)が抑圧者で闇ということは、神こそが悪だという解釈に繋がるのだ。善悪が逆転するのである。そこから、悪魔(サタン)信仰が生まれる。
悪魔(ルシファー)の起源
日本人にはなじみの薄い「悪魔」だが、なんとなく理解しているようで、実はよく知らないことが多い。
「デビルマン・レディー」第7巻 永井豪 |
「蛇」は聖書的解釈では悪なのに、なぜ「光」の蛇なのか。それは、悪魔とエデンの邪悪な蛇は同一視されているからだ。悪魔とは「サタン」であり、元々は天使だった。サタンは神によって地獄に落とされた「堕天使」なのだ。デビルマン・レディーから要約
サタンは、「明けの明星」とか「光を掲げる者」と謳われてきた、天使の中でも最高の輝きを持つ天使だ。その美しさゆえに、最も神に愛された天使の中の天使「ルシファー」である。
明けの明星とは、金星のことであり、朝に太陽より先に輝く美しい星というわけだ。サタンはそれほどまでに美しい存在であり、最大級の賛辞で語られている。
サタンが地獄に落とされたのは、明けの明星が「太陽の玉座」つまり神の座に座ろうとした反逆罪が原因だと言われている。
または、アダムを作った時、神は「アダム(人間)は、神の姿を形どった尊いものであるから敬い拝みなさい」と言ったが、ルシファーは「土くれから創った人間を拝めるか!」と反抗したことが原因であったとも言われている。
明星には、明けの明星と夕べの明星があるが、朝に現れ昼には消えていて、再び夕方に現れる明星は、「死んでは再生する光」と見られていた。
蛇もまた、古い皮を脱ぎ捨てて再生する力を持つものと見られていた。
明星と蛇は再生する同じもの、つまりは魔王サタン、光の蛇のことだ。
金星(美の女神ビーナス)=明けの明星=蛇=悪魔である。「ルシファー」はラテン語で「明けの明星」、「ルシフェル」はラテン語で「光をもたらす者」の意味となる。ちなみに、イルミナティは「光明を伝授された者」「啓発された者」のことを意味する。「イルミナティ」を、悪魔主義者(サタニスト)が美称として使っている。
ちなみに、ルシフェリアンはグノーシス主義者のことである。純然たるルシフェリアンは悪魔主義者ではない。本来は、ルシフェリアンがイルミナティなのだ。サタニストとルシフェリアンは混同して使用されていることが多い。
ここまでの話であれば、悪魔信仰といっても、それほど邪悪さは感じられない。日本的にいえば判官びいきともいえるだろうし、神との戦いで敗者となったルシファーが悪魔と呼ばれているだけで、元は神だった存在を崇めているのだから、そんなに悪い話ではないのだ(もちろん、敬虔なキリスト教徒などからすれば、とんでもない異端だし到底受け入れがたい話ではある)。
悪魔主義者(サタニスト)というと、なんだか小説にしか出てこない実在しない存在のような気がするが、西洋の歴史では、当たり前に存在するのだ。ここが理解できないと、悪魔主義者のイルミナティなんてありえない、陰謀論だ!となってしまうのだ。
スネーク教団
原始グノーシス主義は悪魔主義的ではなく、むしろ善であったという話には、傍証がある。2000年前にソクラテスの先生であったパルメニデスが、若いソクラテスに向って、Kazumoto Iguchi's blogより引用
「お前は今正しいと思われることばかりを勉強してはいけないヨ。世の中にあるさまざまな偽物や愚直なもの、そういった一見馬鹿げてみえるものも学ばなければならない。真実とはそういうものの背後や中に巧妙に隠されているものなのサ。だからむしろそういう邪道に見えるものとも適度に付き合い、それらをうまく取捨選択することのできる知恵を身につけなくてはならないヨ」
というようなことをいったという。
前振りをした上で、本題に入る。
スネーク教団のシンボル 上部には卍 下部には骸骨 |
あらゆる情報を分析するM総研から引用
「カストディアン」とは、ウィリアム・ブラムリーが定義した「人類の管理人(異星人)」を意味する。神話上の神を、異星人と定義している。
古代メソポタミアのスネーク教団は、霊的存在の隷属化に反対した。エジプトの古文書によると、カストディアンの束縛から人類を解放しようとしたのだ。エア王子が、教団のリーダーだったと思われる。「エデンの神々」P70 ウィリアム・ブラムリー著から引用・要約
教団は、科学知識を伝え、古代社会に多くに存在した高い美意識が、更に伸びるように仕向けた。
善意は十二分にあったが、教団は明らかに人類の解放に失敗した。古文書によると、蛇(エア王子=反抗の神)はカストディアンに敗北し、極悪非道呼ばわりされた。
エア王子の称号は「大地の主」から「魔王」に変えられた。
教団は、カストディアンの支配下におかれ、霊的抑圧の道具と化した。
アヌンナキのエア王子(エンリル) |
この話は、グノーシス主義の成立とルシファー誕生の経緯とほぼ同じである。そして、この乗っ取られたスネーク教団が、原始イルミナティなのだろう。
大きく違うのは、ルシファーは神の座を奪おうとしたとされるが、エア王子は正統な後継者である点だ。蛇=光の使者=ルシファー(反逆)=エア王子(反抗)である。
ちなみに「エデンの神々」は、今から約20年前の、1989年に出版された本である。
正統な王子エンリルはキリスト教に近い「万物の創造主」を信仰する。Kazumoto Iguchi's blogより要約
「万物の創造主」と、マルドゥク達の「万物を見通す目」の信仰を持つ両者が、大洪水や古代核戦争を引き起こした。最終的にエンリルは撤退し、地球はマルドゥクが支配する王国となった。
マルドゥク |
これはゼカリア・シッチン博士の説だ。王子エンリルはエア王子のことである。マルドゥク達は、カストディアンのことであろう。
ブラムリーは、カストディアンをヤハウェと定義している。マルドゥクはヤハウェとも考えられる。
スネーク教団のリーダーであったエア王子(王子エンリル)は、人間の味方であった。しかし、マルドゥク達との戦いに破れ、悪の汚名を着せられた。
スネーク教団は、マルドゥク達に乗っ取られることにより、「悪魔主義」に変わってしまったのだ。
善と悪 |
グノーシス主義では、アルコーンを偽の神としているが、悪魔ではない。また、光の蛇は光の使者(天使)であって、神ではない。
悪魔主義ではサタンを神としている。ここが問題である。
更にいえば、悪魔主義者は、生贄によってサタンを使役する。ヒューマニズム(人間至上主義)は、サタニズムの美称である。
落穂拾い
善悪を逆転させる発想
ディール・ブラウディ氏「ユダヤ人の考え方は"逆"である。善は悪、悪は善、光は闇、闇は光、上は下、下は上と考える。犯罪者を大切にする。敵を助ける。友達を罰する。父母を敬うな。死刑は反対だ。権利あるものを疑い、攻撃をする。」1989年講演
ディール・ブラウディ氏が言われる何でも逆転して考える発想というのは、グノーシス主義や悪魔信仰と同時に生まれたのではないだろうか。カバラの秘儀では何でも逆転させて、真実を隠したり相手を陥れたりする。グノーシス主義の「神(ヤハウェ)が抑圧者で闇」であるという考えと瓜二つである。
イルミナティに支配されているマスコミ報道は、ひっくり返して観ると、真実がわかる構造になっている。TVで報道されたから正しい、新聞で書かれていたから正しいと思っているのなら、完全に洗脳されてしまっている。
人間が人間を殺す権利はないからと言って、死刑廃止を訴える人々がいる。本来は死刑廃止でなく、殺人者を無くすにはどういう「教育」と「施策」をすればよいか考えるのが先である。殺人者を無くさず死刑を廃止すれば、この世は悪の天下となってしまう。
徐裕行が村井秀夫を刺殺する瞬間 |
オウム真理教の村井秀夫を公衆の面前で刺殺した徐裕行は、懲役12年ですでに出所している。刑期を終えたからといって、殺害の罪が消えたわけではない。本人は反省しているし懺悔しているというだろう。
しかし、人を殺しても刑期を務めれば自由の身になれるのだから、殺すことにメリットがあるシステムとなってしまっている。被害者の人生全てを奪ったのだから、例え1人でも人を殺せば、少なくとも恩赦なしの無期懲役(終身懲役)が妥当である。
死んだ被害者の命より、生きている加害者の命と自由を大切にする。これは善悪が逆転した悪魔的発想である。
グノーシス主義の日本人的理解
「デビルマン・レディー」第7巻 永井豪 |
人間世界の創造主を自称するヤハウェは、実は闇の領域の支配者(アルコーン)である。この宇宙は、広大な牢獄のごときものであり、その最も奥にある土牢が、人間の世界であるという。デビルマン・レディーから要約
グノーシス主義では、ヤハウェは、真の神がいることを人間に気付かせないように邪魔をしていると考える。
日本人はよく無神論者と言われて外国からは揶揄されるが、それが故に、グノーシス主義者の考えはすんなり理解できるのではないだろうか。善だ悪だ、神だ悪魔だと言い立てて、結局この世界を牢獄にし、神の名の下に戦争を行っている米国などを見ていると、「何がゴッドだ、この人殺し」と思うわけだ。
欧米人のいうGod(神)こそが、一番悪いのではないかと、無神論者の日本人であれば、素直に考えることができる。
更に言えば、グノーシス主義を日本人的解釈すれば、ヤハウェは神のままとし、ルシファーも元々は天使なのだから、両方をカミとして祀るだろう。日本にはカミはいるが、純然たる悪魔はいないのだ。
グノーシス主義がいう、真の神を何とするかが問題であろう。
おまけ
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